スパリゾートハワイアンズ・ブログ

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カテゴリ: 常磐ハワイアンセンター物語

ALOHA〜

みなさん今日は何の日かご存じですか〜?

9月5日は【9(クリーン)5(コール)】の語呂合わせで『石炭の日』です!

さかのぼることおよそ60年以上も前の話。
昭和30年代、石炭から石油へのエネルギー革命が始まったため
常磐興産の前身の炭砿事業は、斜陽化していき、新規事業が計画されました。

昭和38年(1963年)当時副社長だった中村豊は、炭砿にとって問題だった温泉を活用する「温泉娯楽施設」の建設計画を発表し、誰も見たことのない「日本のハワイ」を生み出す、炭砿の人々の挑戦が始まりました。
小野恵美子PH007
そして、様々な困難を乗り越え1966年1月16日に温泉を生かした娯楽施設
「常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)」が誕生
しました!!


<プチエピソード>
私の先輩は入社した時に石炭をもらえたそうです(笑)
この話を聞いて石炭!?と思いましたが、ハワイアンズの歴史を考えると納得です


ハワイアンズの歴史について詳しくはルーツ&ヒストリーをご覧ください







ALOHA〜!

本日は、昔のハワイアンズ…「常磐ハワイアンセンター」にあった
意外な施設のお話をします。

今からさかのぼること、35年。
35年前の10月に、こんな建物がオープンしました。
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そう、【アイススケート場】です!
現在のご宿泊者専用駐車場のあたりにありました。

日本のハワイでスケートが楽しめるなんて…なんだか不思議ですね。
今は跡形もなくなくなってしまっているアイススケート場。
社内で話をしてみたところ、
「小さい頃によくいったなぁ〜!」と懐かしむ声がチラホラ。
「話には聞いてたけど、こんな感じだったんだね」と感心する声も。

皆さまは、どちらでしたでしょうかヾ(´ω`=´ω`)ノ?
むかし懐かしの常磐ハワイアンセンターのお話でした♪

ALOHA〜!

この秋、ハワイアンズは「震災後、営業再開から5年」「映画『フラガール』公開から10年」と周年が重なっているため、感謝の気持ちでいろいろなおもてなし企画を行っています。
詳しくはコチラ

51年の歴史のあるハワイアンズですから、他にも周年があるのでは!と探してみました。

2つ見つかりました。

一つ目は、屋外プール「スパガーデン・パレオ」。
15年前の2001年7月にオープンしました。

もう一つは、ウォーターパークにあるウォータースライダーのうちの一つ、「ワンダーホルン」。
30年前の1986年4月にオープンしました。

改めていろいろと歴史をさかのぼってみると、ぴったりの年ではない、「ニアピン」な出来事も。一緒にニアピンも2つご紹介します。

一つは、大露天風呂「江戸情話 与市」。
こちらはオープンが・・・今から19年前でした。
うーん、惜しい!

そしてもう一つは、ファイヤーナイフダンサーによる「火の踊り」。
以前のブログ(コチラ)で7月3日が初演を行った日だと紹介したのですが、
実はこちら・・・今から44年前。
これも惜しいです。

ファイヤーナイフダンサーといえば、昨日ご案内した8人目のファイヤーナイフダンサー、「Naoペネッサ」。
彼のデビューまで、あと2日です。

10月8日(土)をみなさんの記憶に残る素敵な一日にさせるべく、今も猛烈な練習中です!

連載「常磐ハワイアンセンター物語」

 

 

 最近、「他の温泉旅館に競合で負けるケースが多くなってきた」と、営業部長は苦く語ります。
 しばらくすると、ホテルハワイアンズの「東1号館」の裏に露天風呂を新設する計画が浮上しました。
 「宿泊者を対象とした小規模な露天風呂を造る」
 これが「与市建設」の発端でした。
 確かに、平成2年のスプリングパークオープン後、順調に伸ばしてきた総入り込み数(日帰り)も年数を経ると、減少傾向を見せ始めつつありました。

 そこで、温泉施設を拡張し、かつての主力客層であった中高年を再開拓して客層を広げ、3世代が楽しめる施設を目指すことになりました(この結果、ホテル付帯の露天風呂計画は取りやめ)。
 中高年層にアピール出来る魅力の創造が今回の追加投資のテーマであり、ターゲット層から和風浴場の要望も高まってきたことから、大露天風呂の計画が立ち上がったのでした。
 しかし、当時の旅行動向は温泉ブーム、特に露天風呂は大人気で、全国の施設が相次いでユニークな露天風呂を発表していたものでした。

 「他社に負けない、例のない、日本最大級の露天風呂が果たして誕生するのか」

 当然、最初に企画されたのは「ナイヤガラ系」の露天風呂でしたが、全国、何処にでもある型で、もはや陳腐以外何ものでもないと一蹴。
ならば、「巨石系の露天風呂では」と企画したものの、前述同様の理由で消滅。
伊勢与市の話はその後、計画を進める中で掘り起こされたものでした。
 それが、日本最大級の露天風呂に、大衆文化が花開いた江戸次代の日常性という、非日常空間をまとわせる(オーバーラップ)発想へとつながり、平成9年10月、江戸情話「与市」が誕生しました。

後編へつづく

 

連載「常磐ハワイアンセンター物語」

 

 

 昭和63年3月、念願の常磐自動車道の開通が確実となり、東京首都圏3,000万人が、僅か200km・2時間で直結します。
 だが、喜んでばかりではいられません。
国家プロジェクト・常磐自動車道の開通は、果たして常磐ハワイアンセンターにとって“吉”か、“凶”か。
首都圏からお客様を呼び込めるのか。逆に、いわき地元圏からお客様が流出してしまうのではないだろうか。
 まさに、常磐自動車道は“両刃の剣”の一大事。

 開業以来、新党してきた「常磐ハワイアンセンター」から連想されるイメージが年々陳腐化し、そのため、首都圏のニューファミリー層や若者層を吸引できないでいました。
 また、リピーターの減少傾向が続いていました。
このような経営環境のの中、常磐ハワイアンセンターは、日本のレジャー産業の一翼を担う、複合的総合レジャー企業への発展を目指し、“ニューハワイアンセンター”を構築すべく中期計画(リニューアル計画)を推進中でした。
そして、その“ターニングポイント”を常磐自動車道の開通に置いていました。

 首都圏の新規マーケットを獲得し、いわき地元圏のリピーターの深耕開拓を図るためにも、施設の新しい“目玉”が必要不可欠でした。
 それが、総事業費52億円を投じ、“楽養のパラダイス”というコンセプトで創った世界に類のない大規模温浴施設「スプリングパーク」(平成2年3月オープン)でした。
 スプリングパークの新設に伴い、既存の施設にもリニューアルが加えられました。
 例えば、「観光ホテル」は、「ホテルハワイアンズ」に、「ハワイアンセンター」は、「ウォーターパーク」に。
 そして、単に名称を変えただけでなく、スプリングパークを加えた3つのゾーンを明確化。
また、浴衣を廃してムームーやアロハに切り替え、従業員のユニホームやサイン、ロゴマーク等も変更するなど、旧ハワイアンズ色の“一掃”に踏み切りました。

 その代表格は、商号を『常磐ハワイアンセンター』から、『スパリゾートハワイアンズ』に変更したことです。
“ニューハワイアンズ”となった平成2年度の来場者数は、144万人を数え、前年を一気に17万人以上も上回る活況を呈しました。
特に、ゴールデンウィーク開館中は、常磐自動車道の勿来インターの先までマイカーが延々20kmも列をなし、高速道は、スパリゾートハワイアンズの「駐車場」と化したものでした。

つづく

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