連載「常磐ハワイアンセンター物語」

 

 

 昭和63年3月、念願の常磐自動車道の開通が確実となり、東京首都圏3,000万人が、僅か200km・2時間で直結します。
 だが、喜んでばかりではいられません。
国家プロジェクト・常磐自動車道の開通は、果たして常磐ハワイアンセンターにとって“吉”か、“凶”か。
首都圏からお客様を呼び込めるのか。逆に、いわき地元圏からお客様が流出してしまうのではないだろうか。
 まさに、常磐自動車道は“両刃の剣”の一大事。

 開業以来、新党してきた「常磐ハワイアンセンター」から連想されるイメージが年々陳腐化し、そのため、首都圏のニューファミリー層や若者層を吸引できないでいました。
 また、リピーターの減少傾向が続いていました。
このような経営環境のの中、常磐ハワイアンセンターは、日本のレジャー産業の一翼を担う、複合的総合レジャー企業への発展を目指し、“ニューハワイアンセンター”を構築すべく中期計画(リニューアル計画)を推進中でした。
そして、その“ターニングポイント”を常磐自動車道の開通に置いていました。

 首都圏の新規マーケットを獲得し、いわき地元圏のリピーターの深耕開拓を図るためにも、施設の新しい“目玉”が必要不可欠でした。
 それが、総事業費52億円を投じ、“楽養のパラダイス”というコンセプトで創った世界に類のない大規模温浴施設「スプリングパーク」(平成2年3月オープン)でした。
 スプリングパークの新設に伴い、既存の施設にもリニューアルが加えられました。
 例えば、「観光ホテル」は、「ホテルハワイアンズ」に、「ハワイアンセンター」は、「ウォーターパーク」に。
 そして、単に名称を変えただけでなく、スプリングパークを加えた3つのゾーンを明確化。
また、浴衣を廃してムームーやアロハに切り替え、従業員のユニホームやサイン、ロゴマーク等も変更するなど、旧ハワイアンズ色の“一掃”に踏み切りました。

 その代表格は、商号を『常磐ハワイアンセンター』から、『スパリゾートハワイアンズ』に変更したことです。
“ニューハワイアンズ”となった平成2年度の来場者数は、144万人を数え、前年を一気に17万人以上も上回る活況を呈しました。
特に、ゴールデンウィーク開館中は、常磐自動車道の勿来インターの先までマイカーが延々20kmも列をなし、高速道は、スパリゾートハワイアンズの「駐車場」と化したものでした。

つづく